【引退特別寄稿】カセ釣り奮闘記・10年間の串本のカセ釣り(第一章:グレ釣り その2)

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(アイキャッチ画像(上画像)は、2014年8月18日のもの。この日は入れ食いだった)

2013年6月29日は、大島フィッシングに初めて釣りに行った日です。

釣友のHN:悪っちゃんは真鯛を釣ったりサンバソウを釣ったりで大喜びで、僕も真鯛(脱走真鯛)を2、3匹釣って、悪っちゃんとワーワー言いながら楽しい一日を過ごしました。

16時の納竿まで楽しんで他のお客さんと一緒に上がってきたわけですが、この時、浅海奥のカセの釣果にビックリすることになります。その時の写真が以下。

米ちゃんのご子息。この後この子たちのお父ちゃんと長い付き合いになる

真鯛はともかく、デカいグレがずらっと並んでいるこの図に僕は「衝撃」を受けました。

僕:「こんなにエエグレ釣れるの?」
船頭:「このくらいは普通やで」

普通、これが「普通」・・・

いやいや、直ぐ近くの古座の磯で長年上物の釣りをやっているけど、こんな釣果は見たことが無い。というか、南紀の磯釣りでこの釣果なら新聞の釣果欄で特集を組めるだろうと思ったけど、これが「普通やで」(大島フィッシング・白椿船頭)とはホントにビックリしました。

確かに、串本のカセでグレが釣れるとは聞いたことはあったし、「ペレットで釣る」というのも知識としてはあったんですが、その実力を目の当たりにして本当にビックリしました。で、船頭に、

僕:「こんなグレなら釣ってみたいから、暫くは通うかも解らん」
船頭:「グレは、よー釣れるし、ドンドン来てくれたら」

かくして、この三日後(2013年7月2日)から僕の串本カセ釣り通いが始まりることになります。

驚異的・浅海のグレ

この頃の僕は、インターネット上で起業塾の塾長をやっていて、年末から春まではその仕事でパソコンの前を離れることが出来ませんでした。

ただ、塾期間が終わると、次の募集のプロモーションがまた年末なので、GWから11月いっぱいまでは仕事は忙しくは無いというのが基本的な年間スケジュールでした。

年に五ヶ月間(12月から4月まで)パソコンの前で仕事をして、それ以外は釣りの事で活動する。この仕組み作りこそが僕の真骨頂ですが、これに至るまでは、いや、ホント、大変でしたから。笑

それはさておき、

古座の磯釣りは、どちらかと言えば寒の時期(12月から3月)の釣りなので、時期的に仕事がかぶって実際問題として行けないし、磯釣り(上物)以外の釣りにシフトしないといけない状況だったので、梅雨から秋口がメインの釣期になる串本のカセのグレ釣りは年間スケジュール的にもピッタリでした。

「これは良い釣りを見つけた」

というわけで、とにかくこの釣りを深く知りたい思ったのでネットで浅海(串本カセ)のグレ釣り関連の情報を探し回りましたが、ほとんど全く有力と思える情報は無かったです。

「これほどの釣りなのに、ほとんど誰もブログすら作ってないのか・・・」

フェイスブックは2010年からやっていて釣り関連のつながりも多数あったので、関連情報を求めるような投稿や「こう言うことをやってみたいけど、どう思いますか」というような投稿も繰り返しましたが、ほとんど誰も串本のカセ釣りの事を知らないような状況でした。

「いやぁ、優良な情報サイトは、なーんも無いなぁ」
「無いなら無いで仕方ないから、僕がサイトを作ろう」

というわけで、ウェブ制作もやるとなったので、とにかく串本のカセ釣りと、カセ釣りのグレに詳しくなる必要があるとなったので、「数を行かんとイカンなぁ」となりました。

速攻でこういうサイト作ったりしていた。

この年の7月は2日の初釣行を皮切りに5日、10日、13日、18日、23日と釣行して、とにかく数を行って、この釣りに慣れてしまう事(一刻も早く脱初心者)を最初は考えました。

「初心者であることを仕方ないと思うな、悔しいと思え」(海信語録)

最初はホントに釣れなかったです。初回から4回目まで、2枚、1枚、2枚、2枚の釣果でしたからね。

ただ、この貧果の原因を僕は、「この釣りの初心者だから」とは絶対に言わなかったです。

釣れなくて悔しいけど、そんな言い訳をしたところで誰かが助けてくれるわけでも無いし、この釣りを自分のモノにするため「何か無いか」と集中力だけは全開でした。

そして、5回目の釣行で運命の「ある光景」を目にすることなります。

現実なのか?こんなデカいグレの数釣り

渡船屋のホームページには基本仕掛け図が載っていたし、串本カセのグレ釣りの基本的な釣り方もインターネット上に何もないわけでは無かったです。ベテランの常連さんから話も聞けたし、もちろん船頭も色々な事を教えてくれました。なので最初から「全くの無策」というわけでは無かったです。

僕はウキ釣りが主体だし、浅海波止の真ん前に付けているカセなので最初は、

「波止釣りの感覚でやったら良いんじゃないか?」

大阪湾のエビ撒き釣りのハネ釣りはかなり本格的にやってたし相当に釣行経験がありました。浅海のウキ釣りのグレ釣りは基本仕掛けや釣り方の考え方はこのエビ撒き釣りのハネ釣りに似ていたので、「エビ撒きが豆まき(ペレット撒き)に変わったくらいだろう」、そういう感覚でスタートしました。

しかし2013年のこの時期はイサギの子(ウリボウ)がエサ取りで大量発生していて、基本とされているペレットのグレ釣りではかなりの苦戦を強いられました。

エサ取り対策はグレ釣りでは必須項目。当然色々な対策は頭に入っているし、波止釣りの知識も加味して色々とやってみるわけですが、最初は「どうも上手く行かんなぁ」でした。

そんな中、5回目の釣行は7月17日で、この日もエサ取りに苦戦してましたが、昼を回ってグレが大量に浮いてくる光景が目に飛び込んできました。

ロープをついばみに来ている

アオサを食っているグレ

トイレの影に隠れてグレの様子を観察しましたが、アオサをついばんでいる様子が確認できました。

アオサでグレが釣れるというのも聞いたことはあるし、「海苔をついばむからグレは臭い(特に夏場)」とは、まあ、グレ釣りの常識とされている部分なので、グレがアオサを食うって言うのは僕の中には確かに知識としてありました。

「アオサをエサ(サシエ)にしたらどうだろう」

タナは9mで、ダメ元でロープ際に流すと一発でウキが消し込んでいきました。

それでも、「あれ、ナンで(ウキが)沈むんやろ?アオサってそんなに重い?」、一回目はこんな感じだったです。笑

このタイミングでは連発でグレが当たってきたんですが、アオサで釣ると良型(40cmオーバー)から大型(45cmオーバー)ばかりで、「これって、もしかして大型グレの特効薬なのか?」と思いました。

8枚の釣果、最大サイズは48cmでほとんどが40cmオーバー

「これは現実なのか?」

サシエをアオサにすれば、厄介なエサ取り(ウリボウや小アジ、小サバ)も全く当たってこないし「当たれば大型グレ」という体験したことが無い異常で異様な状況。

この時は「トンでも無い釣りを見つけた」と思いました。

選ばれた釣り師としての自覚

カセから上がって船頭に「アオサで食ってきた」という話をしましたが、「大島港周辺のグレがアオサで釣れるのはよく聞くけど、浅海でアオサでグレが釣れるのは聞いたことが無い」とのことでした。

大島フィッシングの白椿船頭は僕と同じ歳で、串本大島生まれの大島育ちで、言ってみれば、ここいらの釣りの事は生き字引的な存在です。その船頭をして、「アオサで釣れることは知らなかった」。さらに色々な漁業関係者や地元の古株(オイやんたち)に聞いても、だれも浅海のグレがアオサで釣れるという事を知らない、というかグレはペレットでバカスカ釣れるので工夫をする必要も無かったんでしょうね。笑

というわけで僕は、浅海の海苔グレの釣りの「第一発見者」という事になりましたが、僕が特に注目したのは「アオサで当たるとグレがデカい」という事でした。

和歌山のアベレージと言われる35cm前後のグレで良かったら今さら新しい釣りにチャレンジしなくても、磯釣りを適当にやってればいくらでも釣れるし、そもそも磯ではグレは外道に比べて小さいし引きも大したことは無いので、「あまり好きでは無かった」というのは前述の通りです。

ただ、良型(40cmオーバー)から大型(45cmオーバー)がバカスカ釣れるとなるとこれは話が全く別で、釣っていても面白いし興味深いし、大グレ釣りの経験なんて簡単には出来ないので、暫くはこの釣りで大グレ釣りの経験を積もうと思いました。絶対にメインでやっている磯釣りの役に立つことになると、確信めいたものがありましたからね。

また、僕が非常に不思議に思ったのは、「どうして、僕が(アオサに群がるグレを)目撃出来たんだろう」という事でした。

2013年の7月のタイミングは串本大橋が出来て既に14年が経過しているし、浅海奥のカセのグレ釣りも10年以上の歴史がすでにあったはずで、既に延べで何万人もの釣り人がここいらのポイントでグレを狙ったはずです。

詳しく調べれば「俺も見たことがある」くらいの目撃情報は出てくるかも、ですが養殖業者の連中でも「見たことが無い」だったですからね。

この事実を僕は、自分にとって都合の良いモノにすることにしました。すなわち

「浅海のグレ釣りの神様から僕は選ばれた」

神から課せられた僕の役目(ミッション)は、「この釣りを世に広めること」にあるんじゃないか。

魚(グレ)を釣るだけで良かったら、僕以外でも僕と同じくらい釣れる人はナンボでも居るとは思いましたが、普及を加味するなら、人気サイト制作の知識やスキルがある僕を神が選ぶのもうなずけると解釈しました。

いやいやいや、「やったるぞーっ!」って、その時は思いましたですね。笑

ただ、このタイミングから6年くらい経過してから、僕は「大いなる勘違い」に気づくことになります。

僕以外の誰も、アオサをついばむグレを目撃しなかったことも、「そういうことか」と目が覚めるように気づくわけですが、それは本章の巻末「千枚釣って見えたもの」で詳述します。

求めていたレベル

アオサでグレを釣るのは当時の僕にとっては非常に斬新で、何よりも、「誰もやってない釣り(手法)で結果が出せる」という事には大いに満足してました。

ナンせ「人と同じことが嫌い」で、人が「これで良い」と言えば「もうちょっと工夫したら、もっと釣れるんちゃうん」とか、とにかく釣りに関しては徹底的な天邪鬼(あまのじゃく)で、「自分発」とか「自分しかやってないこと」をいつも探していたし、ナンバーワンには全く興味は無かったですが、「オンリーワン」にはかなりこだわってましたからね。笑

ただ、オンリーワンへの道のりは、いつもかなり険しいです。

「人の非常識は自分の常識」(海信語録)

最初のうちは同じことをやっている人がいないので統計的なデータの分母は自分で作るしかなかったわけですよ。

常連や友人にこの釣りの話をしても、「アオサでは当たる気がせん」ばっかりで、まあ、彼らが長い時間を掛けて作り上げた常識に無い話をしているので、「そりゃ、そーやろな」でした。笑

アオサはどのくらいの量をどういう付け方にすれば良いのか、針はどんな針の何号が最適なのか、ハリスは細くないといけないのか、太くても食ってくるのか、ウキの種類、号数、マキエの仕方や適量、最適な誘いの仕方や釣り方などなど・・・

実践から得られるデータでなければ意味がないので、とりあえず一通りは全部やってみて、感覚的に「これは良いかも」と思える部分だけをさらに精査し、結果が出たことだけを自分の「常識(引き出し)」とするようにしました。

8月は5回の釣行で15枚、9月は3回しか行けなかったんですが16枚の釣果で、徐々にですが、引き出しになる部分も充実してきたように思いました。で、10月は2回の釣行で29枚の釣果で、3ヶ月かけて「浅海のアオサのグレ釣り」の輪郭が出来たように思ってました。

そして、運命の11月4日の釣行になりました。

2013年11月4日の釣果写真。まあ、普通の釣果だが

この日は潮がピリッとしないというか、アタリも少なくて苦戦を強いられましたが、午後から短い時合いをナンとかモノにして、40オーバーの良型を筆頭に3枚の釣果(上写真)でまとめました。

「まあ、今日の潮なら、こんなもんで上出来かな」と僕は思ってたんですが、船から上がってクーラーの中身を見た船頭の一言が強烈に僕にぶっ刺さりました。すなわち

「ええ、こんだけ?潮悪いんか?」

この時、上空2万メートルの彼方から僕の頭のてっぺん目がけてドカーンと稲妻が落ちてきたような気がしました。

3枚とは言え一枚は45cmに掛かりそうな良型で、残りの2枚も40cmに足らないと言っても30cm台後半でコンディション的にも最高のグレです。この出来を「ナンとかまとめた」と僕は思っていたし、スポーツ新聞の釣果欄なら「良型グレ好調」くらいで書くと思うんですよ。それを切れ味鋭い居合のような一言「潮悪いんか?」で一刀両断。

おおよそグレという魚は人気のターゲットで、釣り師の技術的なレベルも様々です。だから平均的な出来なら「上出来、上出来」みたいなところもあるし、この日の釣果はその典型と言えるし、僕もいつのまにか、そういう平均的な部分で自分の釣果を評価してたんですね。

「潮悪いんか?」で、僕は一気に目が開いたというか、ガツンと気づかされました。

「そうだ、グレはこのレベルでやりたかった」

デカいヤツをモリモリ釣ってこないと鼻で笑われるようなハイレベル。出来れば思いっきり上から目線で、「下手くそ」「やめてまえ」くらい言ってくれる厳しい先輩とか師匠も欲しかったですが、それは難しかったですね。(みんな、優しいから。笑)

「上手な人にモンで貰え」(海信語録)

2014年7月4日は、常連客の森下さんが来島されて、VS(1対1の勝負)をして頂けました。

この時は串本のカセ釣りに通いだしてちょうど1年だったし、森下さんにはカセのグレ釣りを始めたばかりから色々と教わったりしてたし、とにかく、「オイやんの釣りは一味違うなぁ」と感心させられることばかりだったので、その技術を盗むためにマークしていた御仁です。

と、まあ、こう書けば綺麗ですが、森下さんはカセで隣通しになると、いつも爆って見せつけてくるわけですよ。(オラオラオラァって。笑)

なので朝一番で森下さんを見かけたら、「クソジジイ、今日という今日は、こってんぱーにしてくれる」と僕は気合が乗るし、「クソガキが今日も挑んでくるんか。返り討ちにしてくれる」と、まあ、こんな感じです。笑

さて、あの日は早朝から6連発で僕が釣って、「オラオラオラァ、オイやん、どや」でプレッシャーを掛けて煽りまくるスタート。対して、森下さんは「猪口才なガキが」とばかりに午後から猛烈に盛り返してきたんです。「結構釣った」という手ごたえは十分だったし、納竿間際、僕は「やっと勝てた」と思ったんですが、ふたを開けてみると・・・

この日の僕の釣果は30枚

森下さんは31枚の釣果

「30枚釣っても、このオイやんには、勝てんのかいっ」、いや、思わず口に出して呆れました。笑

森下さんには事あるごとに、こってんぱーに負かされ続けましたが、「お前と並ぶと面白い、またやろう」と言って頂きました。

僕の浅海のグレ釣りでは、この森下さんの存在は大きかったです。上手いし強いし、歳が僕よりかなり上なので、安心して胸を借りることが出来た、というか、森下さんの前では小憎たらしいクソガキでいられるのが本当に楽しかったです。

「30枚釣っても31枚で負かされるレベル」

求めていたグレ釣りのレベルで切磋琢磨できることは本当に嬉しかったです。

そしてこの頃から、「この釣りを本気で・・・」と考えるようになってました。

決断

串本のカセに通い始めたころの僕は、まだまだ「磯釣り師」としての自覚でグレ釣りやってました。

磯釣りのホームグランドは古座で、古座は串本大島の裏磯になるので大島の裏側の潮には非常に興味があったし、串本のカセ釣りは湾内の釣りなので、「潮的には通じるものがあるんじゃないか」と思ってました。カセのグレを釣りこなすことはメインの釣り(古座の磯釣り)に大きく役立つことになるとも思ってました。

2014年からは一度大島入りすれば2日から3日間竿を出すようにスケジュールも調整しました。

大島フィッシングは仮眠所が無料で使えるし、コストを考えても2日は竿を出す方が得策であることは言うまでもありません。また、船頭と食事をする機会を増やして、さらに串本のカセ釣りに対する造詣(ぞうけい)を深めることや、有効で有益な人脈形成などにも力点を置きました。

「人の喜びに貢献せよ」(海信語録)

この頃になるとブログも大きくなってきたし、アオサのグレ釣りも徐々にですが、大島フィッシングを中心に浸透してきました。

「エサ取りに強いからこの釣りは良いね」
「置き竿にしてても当たればグレだから楽しい」
「アオサの方が大きなグレが当たるな」
「サバがエサ取りでも全く困らない」

などなど、「かねちゃん、よく(海苔グレの釣りを)発見してくれた」とは誰も言ってくれなかったですが(笑)、僕発の釣りでたくさんの人が喜んでいる状況は非常に満足できるものでした。

2014年7月に入って、いよいよ脂が乗ってきた僕の浅海のアオサのグレ釣りは一回釣りに行けば12枚平均の釣果になりました。で、どのくらい釣っているのか、具体的な数字が知りたいと思ったので、釣果枚数をエクセルで管理することにしました。

ブログはまさに「ウェブログ(ネット上に置いている記録)」なので、何月何日に何枚釣ったの記録が残っているので直ぐに累計釣果枚数が計算できました。

「2013年は28回の釣行で141枚、2014年は300枚を超えるペースで釣っている」

このまま続ければ、「累計で1000枚いけるかな」。この時は、本当に浅海のグレ釣りの事ばかり考えてましたね。笑

「数をやれ。最低千やれ」(海信語録)

浅海で1000枚のグレを釣った人となると、やっていそうな常連に心当たりは無かったです。

いや、僕が知らないだけかもしれないですが、「100はちょっと頑張れば誰にでも出来る数字。しかし1000となると、選ばれた人しかできない数字」というのは、感覚的に思っていたし、「甘い数字じゃないし、多分おらんやろな」と思いました。

ただ、「僕は選ばれた人間だから、この数字は出来るかもしれない」とも思いました。

それと同時に、「ダラダラやっていたのでは出来ない」とも思いました。「1000」という数字がそういう数字というのは僕は感覚的に解っていた、というか、「1000を目指せばこの先は絶対に甘くない」と確信めいたものもありました。

だから「期限を切らないと出来ない」とも思ったし、「3年(約1000日)でやり切らないと出来ない」とも思いました。こうして千日で千枚の「千枚修行」を思いつきました。

そしてこの数字を成就しようと思ったら、「並の覚悟では無理だ」とも思いました。「いやぁ、これは決断を要するな。大丈夫かな・・・」こんな感じが率直な感想だったです。

決断とは「決めて、断ち切ること」。目標を絶対に成就をさせようと思ったら何かを代償を差し出す(何かを捨てる)必要があるわけで、考えに考え抜いて、「この修業は釣り人生を掛けても絶対にやり抜く」と心に決めました。

そして、代償は「磯釣り」としました。

あれほど大好きで20年続けた磯釣りを捨てる。

この覚悟を決めて初めて、千日で千枚の輪郭が見えた気がしました。

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兼崎 秀治串本大島カセ釣り研究所代表

投稿者プロフィール

串本大島カセ釣り研究所を運営しております、HN海信(本名:兼崎秀治)です。
波止釣り、磯釣りを経て、現在カセ釣りに夢中ですが、12歳から釣りやっているので、釣り歴は40年以上です。

現在後進の色々な人に釣りの魅力を伝えるべく、日夜邁進しております。どうぞよろしくお願いします。

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